なぜ今更毘夷方式?


先日、「桜2号」と言うドラマのDVDを購入しました。
これは原作は漫画なのですが、その漫画自体B作は気に入っていたので朝日放送のみですが、
ドラマ化されたと聞いて見たいなぁとは思ってました。
(関東では放送されなかったので・・・・)
で、DVD化されたと知り早速買ってしまいました。

大雑把なストーリーは恋人を突然病気で亡くした技術者が、恋人そっくりのロボットを造り、
そのために起こる物語です。

死んだ人の身代わりにロボットを造るってストーリーは昔からありました。
鉄腕アトムもそうだし・・・・
その結果は、いつも悲劇(?)じゃないかな・・・・
造った人(もしくは製作を依頼した人)は、死んだ人が帰ってきて欲しい、
もう一度会いたいって思ってロボットを造ります。
でも、どんなに姿形がそっくりでも、そのロボットは別人なんです。
ましてロボットなら、どんなに凄いAIを搭載しても、その行動はプログラムでしか無いと思うんです。
で・・・いつか死んだ人ロボットは別モノだと気づかされる時が来る訳です。
死んだ人には会えないって事を更に認識させられるんです。
これはかなりキツイ事だと思います。

この「桜2号」も同じです。
恋人サクラの身代わりロボットを造った鉄也は、恋人が突然死んだと言う事を
受け入れる事が出来ず、不幸な事(?)に彼は人間そっくりな動きをするロボットを造れる技術がありました。
そっくりな外装を造れるフィギアの天才の友人が居ました。
その為、鉄也サクラを甦らそうって考えました。
完成した桜2号は、見た目はサクラそっくりでした。
鉄也は再びサクラとの生活を取り戻したと思っていました。
と言うよりそう思い込もうとしたのかも知れません。
鉄也の父親が、そんな息子を心配し桜2合はロボットだと知らしめようとします。
外装を造ったフィギアの天才の友人は、桜2号を造った事を後悔し、桜2号を壊そうとします。
みんな、鉄也と桜2号の関係はおかしいと思って、鉄也のことを心配しての行動です。
でも、一番おかしいと気づいているのは当の鉄也だと思います。
分かっているけど、でも・・・・・
ラストに近づくにつれて鉄也もおかしくなってきます。
そんな鉄也を救ったのは死んだサクラが残した日記でした。
その日記には何気ない日常から病気になり、やがて死を恐怖するサクラの気持ちが綴られていました。
そして最後に残される鉄也を心配する言葉が書いてありました。
その日記を読んだ鉄也は目の前に居る桜2号はサクラでは無い事を実感します。
それは鉄也自身がサクラには二度と会えないと言う事を認めた事でした。
鉄也は桜2号に謝り、桜2号の起動を停止します。
この後、産業スパイ(?)みたいなのが出てきたりして、ストーリー的には盛り上がりますが
鉄也と桜2号の話しは、それで十分な気がしました。

鉄也サクラが死んだ事をちゃんと受け止める為には桜2号との関係は必要だったんだと思います。
それを他人がおかしいとか変だとか言う事は出来ないと思いました。
そんな事は当の本人が一番分かってるんだと思うから・・・・・

B作が思うには、桜2号は最後までただのロボットだったんだと思います。
プログラムに忠実に行動しただけだと・・・・
その動きに対して自我だとか意思だとか言う心を感じ取ったのは、受け止める人間が勝手に
感じてるだけなんだと思います。
そう言っちゃうとロマンも何も無いけど、それが現実なんじゃないかなぁ・・・・
それでも、そのプログラムだとしても、桜2号に鉄也は救われた事は間違いないと思います。

B作はロボットに人間とのコミュニケーションを求める事に疑問を感じます。
ロボットを人間そっくりにする意味が分かりません。
どんなに高度なプログラムを作って、表情を出せるロボットを造ったとしても所詮ロボットなのでは・・・
女性型ロボットの受付嬢に笑顔を向けられて嬉しいのかな?
素敵な笑顔を求めるなら人間の女性の方がずっと良いと思うんです。

人間がやるべき仕事(作業)とロボットがやる仕事(作業)って違うと思うんです。
人とのコミュニケーション的作業や創造的作業は、やはり人間がやらなければならないと思います。
例えば介護の現場にロボットを・・・って話しは良く出ます。
確かに絶対にロボット導入を考えなければならない現場だと思います。
しかし、全てをロボットにやらせるのはどうかと思います。
お年寄りや障害者の方の心をケアーできるのは絶対に人間だと思います。
もしも歳をとって完全自動化したロボットハウスみたい処へ入れられて毎日毎日ロボット相手の生活に
耐えられますか?
やはり人間のヘルパーさんが居て、挨拶したり雑談したりする事が癒しなんじゃないですかね。
どんなに人間そっくりなヘルパーロボット造ったとしても、絶対に人間の方が良いって感じるのではないでしょうか?
だからって介護の現場にロボットは要らないなんて言いません。
ヘルパーさんの肉体的、精神的負担を軽減することの出来るロボットが必要だと思います。
でも、ヘルパーさんの変わりは出来ないと思います。

日本はヒューマノイドロボットに、かなり力はいっています。
しかし、ロボットは所詮ロボット・・・・
ロボットに人間的なものを求めるべきではないかと思います。

もしも将来的に、AI技術が進歩して人間と同じように意思と言うか自我を持ったモノが出来たとしたら・・・・
それはロボットとは言えないような気がします。
それは別の生命として尊重しなければならないと思います。

人間とロボットとの関わり方はロボットは人間のサポーターとしての存在であるべきだとB作は思います。
あくまでも人間がロボットを使うって姿勢は必要だと思います。
その為には人間もロボットに負けないよう努力しなければならないと思います。
じゃないと、よくあるSFみたいに人間はロボットに駆除されてしまうでしょう・・・・