第3話


仕事も終わり、私は家路についた。
頭の中は、帰り間際に言われた部長の言葉が何度も響いていた。
4月から関連会社に行ってくれないかと言われたのだ。
早い話、肩たたきだ。
大学を卒業してから30年、真面目に会社の為に頑張ってきたのに・・・
悔しさと絶望感で、呆然とした。
返事は月曜日にするとやっと答えて、会社をあとにした。
家族に何て言って良いのか分からず、足取りはどんどん重くなってきた。
ふと、目の前のマンションの非常階段の扉が開いていたのが目に入ってきた。
吸い込まれるように私は非常階段を昇り、マンションの屋上に向かった。
何もかも嫌になり、屋上から飛び降りるのも悪くないかな・・・
そんな事を思うようになっていた。
屋上に着くと先客がいた。
目新しいスーツを着た青年が、手すりに足をかけて飛び降りようとしていた。
「ちょっと待て!!」
私は慌てて駆け寄り、青年の身体を抱き抱えて手すりから引きずり降ろした。
「何で、死のうとするんだ!」
私は叫んだ。
青年は泣きながら
「第一志望の会社が不採用だったんです。」
「だからって死ぬ事は無いでしょ!」
「XX社に入れなかったら人生終わりです。」
その会社名を聞いて、私は苦笑いしてしまった。
何故なら、その会社は私が勤めている会社だったからだ。
苦笑いしている私に
「何が可笑しいんですか?!」
と怒っていた。
「申し訳ない!実は私はその会社の社員なんだよ。」
「笑ったのは採用試験に落ちた僕の姿が可笑しいからですか?」
「そうじゃないよ!実は今日、4月から関連会社に行ってくれないかと言われたんだよ。
 30年間、真面目に勤めてきたつもりだったんだけどね・・・」
「何かミスでもしたんですか?」
「イヤ・・日々の仕事をそつなくこなしていたよ。」
「それなのに何で?」
「ミスはしないけど、必要な人間では無かったって事だよ。」
自分で言っていて、何だか情けなくなっていた。
今回の人事は、そういうことなんだろう。
「君は何でうちの会社に入りたいの?」
私は青年に聞いてみた。
「一流企業だし・・入ったら親も喜ぶし・・」
私もそんな感じで入社した様な気がする。
「それじゃダメだよ!
 どこの会社に行っても、自分は何がやりたいのか!何が出来るのか!それをきちんと考えていないと
 将来私と同じ目にあうよ!」
そう言いながら、昔誰かに同じ事を言われた気がしていた。
何だ!?このおかしな既視感。

「まだ思い出せませんか?」
青年が静かに言った。
そう言われて、昔の記憶が甦ってきた。
私は今の会社に一度不採用通知をもらい、その後補欠採用で入社したのだった。
不採用通知をもらった時、ビルの上から飛び降りようとした事。
そしてその時、誰かに助けられて飛び降りずにすんだ事も。
「その時に、今あなた自身が言った事と同じ忠告をされませんでした?」
私は返す言葉が無かった。
結局、補欠採用に浮かれてしまい今の今まで忘れていたのだ。
「あなたはこれからどうしますか?」
青年は聞いてきた。
「どうするって・・・??」
私が聞くと青年は笑顔で
「今日の出来事を過去の出来事として”あの時に、ああしていれば良かった”って言い訳して生きるか、
 それともこの出来事を現在進行形の事と捉えてこれから少しずつでも前向きに過ごすか。
 好きな方を選んで下さい。」

そう言うと青年は私に背を向けて歩き始めた。
「君は・・・いったい・・・」
私がつぶやくと青年は立ち止まり
「こんな都市伝説知っています?
 3月10日って佐藤の日って言うらしいのです。
 佐藤の日には何人かの佐藤さんに小さな奇跡が起きるらしいですよ。
 あなたも佐藤さんでしたよね。良い事が起きると良いですね。」
そう言うと青年の姿が消えていった。
やがて辺りが暗くなり、私の意識が遠のいていった。
気が付くと私はマンションの屋上に座り込んでいた。
夢?それとも・・・・
すっかり日も暮れて真っ暗になっていた。
私はマンションの屋上から降りて駅に向かった。
駅前の繁華街に着くと、居酒屋のホワイトボードに
『3月10日、今日は佐藤の日。佐藤さんにドリンク1杯サービス。』
と書いてあった。
「これが小さな奇跡かな・・・・」
思わず呟いた。
関連会社に行ったら色々と忙しくなるだろうから、今日くらいは小さな奇跡をありがたく頂戴しよう。
そう思い店に入った。


戻る