シンジは、その日も終電ギリギリで帰路についた。
産業機械のシステム開発の仕事をしているので
会社に泊まりこむ事もざらだった。
家に帰ったところで、誰が待っている訳でもなく、
いつもの様にコンビニに寄って、遅い夕食を買って、家に向かった。

結婚しているが、仕事に没頭するあまり、家庭の事を疎かにした為、
奥さんは実家に帰ってしまった。

それから数ヶ月経っていたが、シンジは迎えに行く事もせず仕事に没頭していた。
なぜ奥さんが怒ったのか、なぜ実家に帰ったのかが理解できなかった。
自分はちゃんと仕事をし、生活費をちゃんと稼いでいるのに・・・・
自分は悪くないと思っていた。
だから、迎えに行く理由が無かった。
これで終わりになっても仕方無いとさえ思っていた。


ぼんやり歩いているとゴミ捨て場に妙なモノがあった。
じっくり見ると人間の脚のように見えた。

「ん?!」

近づいて見ると、女性が倒れていた。
シンジは吃驚して、抱き起こそうとした。
抱えてみて、見た目に比べて妙に重かった。
変な話し、触った感じにも違和感があった。
落ち着いて観察して見ると、どうやらそれは人形のようだった。
それにしても、リアルな人形だとシンジは思った。
そこでハッとした。
「イブ1号・・・・」
シンジは半年くらい前にマスコミで騒がれていた騒動を思い出した。
確か、あの騒動の後、不法投棄が問題になっていた。
誰かが、イブ1号をここに捨てたようだった。

そのまま放置しても良かったが、なぜかシンジはイブ1号を抱えて家に向かった。

なぜ、イブ1号を持って帰ろうと思ったか、シンジ自身にも分からなかった。

家に着いて、簡単な夕食をすませると持って帰ったイブ1号をチェックした。
シンジは一応、システム開発の仕事をしているので機械についての知識は多少有った。
破損はかなり激しく、完全に治せるか分からなかった。

そのまま、捨ててしまおうかとも思ったが、なぜかシンジはこのイブ1号を
治したいと強く思った。

まずはインターネットでイブの情報を集めて見た。

以外に簡単に情報は手に入り、修理方法だけでなく改造方法なんかも
ホームページ上で紹介されていた。
それらをチェックし、必要な部品などをリストアップした。
それらの部品をネット上で注文した。

その日から、シンジはどんなに遅くなっても家に帰り、イブの修理をしていた。
なぜこんなに夢中になっているのかと時々自分を苦笑していたが
それでも夢中で修理をしていた。

なんだか家に帰る楽しみが出来たようだった。
こんな気持ちは結婚した当初以来だった。
いつからその気持ちを忘れてしまったんだろう・・・・・
シンジはふとそんな事を考えていた。
それでも奥さんを迎えに行く気にはなれなかった。

数週間かかって、イブの修理は完了した。
シンジはイブを再起動させた。

イブは目を開けて、ゆっくりと起き上がった。
「ユーザー登録をして下さい。」
イブが喋った。

起動時に所有者の情報をインプットするのである。
本来は購入時にメーカが事前に登録してくれるのだが
今回はマニュアル登録として会話モードで登録することになった。

「武谷シンジだ。」
シンジは自分の名前を言った。
「名前を登録しました。」
イブが答えた。
それから、生年月日、血液型、職業、その他諸々100以上の
質問に答えた。
「データ入力完了。イブに名前をつけますか?」
イブが聞いてきた。
シンジは考えて
「サトミ」
と答えた。
「了解しました。私はサトミです。」
なぜ、奥さんの名前にしたのかシンジ自身も分からなかった。
女性の名前がそれしか浮かばなかったのか、それとも・・・・
「まず何をしましょうか?」
イブ改めサトミが言った。
シンジははっとして
「え?!あぁ・・・そっか・・・まずは掃除してもらうかな・・・」
「申し訳ありませんが、データに無いので、品物の収納場所を教えて下さい。」
「え?!あぁ・・・・」
部屋に乱雑に置いてある洋服などのモノを何処にしまうかを聞いていたのだ。
更に必要か必要じゃないかの選別も教えなければならなかった。

結局、シンジはサトミと一緒に掃除する羽目になった。
その努力の甲斐もあって、部屋は見違えるほど綺麗になった。
シンジは今まで、こんな風に掃除の手伝いなんかしたこと無かった。
休みの日なんか、部屋でゴロゴロしていると、奥さんに
「少しは手伝ってよ!!」
と言われたことが何度もあった。
その度に
(冗談じゃない!!普段仕事しているんだから休みの日にそんな事出来るか!)
と思って、そのままプイと外に出かけたりしていた。

「次は何をいたしましょうか?」
サトミが聞いてきた。
すっかり夜も遅くなってきたので
「今日はもう良いよ。俺はもう寝るから」
とシンジは答えた。
「分かりました。 明日は何時に起床いたしますか?」
「そうだな・・・6時に起きるよ」
シンジは答えた。
「朝食はお作りいたしますか?」
「え?!作れるの・・・・」
思わずシンジは聞いてしまった。
「現在ここにある材料から、トーストが作れます。よろしいですか?」
「はい」
思わずシンジは答えてしまった。
「では、おやすみなさい。私も休息モードにいたします。」
そう言って、充填機の上に乗って電源が切れた。

なんだか妙な事になったとシンジは思った。
そして自分のベットに入って寝た。

サトミとの奇妙な生活は、それなりに楽しかった。
なによりも、家に誰かが待っていてくれると言うのが嬉しかった。
以前、奥さんと暮らしていた時には、当たり前すぎて
そんな風に思ったことなど無かった。

ただ、サトミとの生活は快適とは言い難かった。
サトミは高機能のロボットとは言え、人間に比べればまだまだ劣るため
何をやるにしてもシンジがサポートしなければならなかった。
特に家事と言うものは臨機応変な判断が必要になり、工場の単純作業とは違い
マニュアルやデータだけでは、こなせない仕事だった。
その為、サトミがとんでもない行動をする事が次々と発生した。
その度に、シンジが面倒を見る羽目になった。
正直に言えば、サトミは家政婦ロボットしては役に立ってはいなかった。
それでも、シンジは怒る気にもなれず、むしろサトミの失敗を面白がって見ていた。
大きな子供と付き合っている様な気分になっていた。
それは、シンジにとって心地よいものだった。

そんな楽しい時間がしばらく続いていたある日・・・
その日もサトミに庭の水撒きを頼んだのだが、水溜りに足を滑らせて
転倒してしまい泥だらけになってしまった。
シンジは慌てて助け起こし、急いで風呂場へ連れて行った。
そして手際良くサトミの服を脱がせた。

最初の頃は、サトミの裸にドキドキしていたが、意識しているのがシンジだけだと気づき、
そんな自分が恥ずかしくなった。
そのうち、サトミを裸にするのが気にならなくっていた。

いつもの様にサトミにシャワーをかけて洗っていた。
「あなた、なにやってるの!!」
不意に後ろから声が聞こえた。
シンジは振り返ると風呂場の入り口に奥さんの里美が立っていた。
表情は怒りに満ちていた。
「帰ってきたんだ・・・・」
シンジはのんびりと言った。
なぜ、里美が怒ってるのかシンジはすぐには気づかなかった。
あまりにも平然としているシンジに里美はシンジはこの女と楽しく暮らしていると思い
「そう言う事なのね。分かったわ・・・好きにすれば。」
そう言って里美は出て行こうとした。
そこで、シンジは裸で居るサトミに対して里美が勘違いしたと気づき
「ちょっと待て!!勘違いするな!!」
シンジは慌てて叫んだ。
そして風呂場を飛び出して、里美の後を追った。

何とか玄関で里美を捕まえて、強引にリビングのソファーに座らせた。
憮然として座っている里美。
どう説明しようかと悩んでいるシンジ。
居心地の悪い沈黙が続いた。
そんな処へ裸のままのサトミが来て
「お客様にお茶をお入れしましょうか?」
と聞いてきた。
更に里美が怒っているのがシンジにも感じられた。
タイミングの悪さにシンジは困惑した。

サトミは独りで洋服の着替えが出来なかった。
だからシンジが着替えさせなければ裸のままなのは当然である。
そんな事は里美は理解できるわけも無く、里美の誤解は更に広がった。

とにかく今この状況にサトミが居るのは良く無い事だけは分かっているので
「サトミ、悪いけど向こうの部屋へ行ってくれないか?」
シンジはサトミに言った。
「分かりました」
そう言ってサトミは隣の部屋へ行った。
「サトミって・・・」
更に里美の怒りが増していた。
「あのさぁ・・・あいつとは何でもないんだよ。」
とありきたりのシンジの答えに、ついに里美の怒りは爆発した。
「この状況でよくそんな事言えるわね!!もういいわ!!好きにすれば!!」
そのまま席を立って出て行きそうな里美を抑えて
「落ち着いて俺の話しを聞いてくれ!!まず、あいつは人間じゃないんだ。」
その言葉に里美の動きが止まった。
「何言ってるのよ・・・」
里美は、あまりの馬鹿馬鹿しい言い訳に呆れていた。
百聞は一見にしかずと思い、シンジはサトミを呼んだ。
裸のサトミを里美の前に立たせた。
「落ち着いてこいつを見てくれる。そして触ってみて。」
里美は渋々サトミを見て、恐る恐る触ってみた。
確かに触り心地に違和感があった。
サトミの裸を良く見ると妙に整い過ぎていた。
「ロボット・・・・??」
里美が呟いた。
「そう!ついこの間TVで人間そっくりのロボットの事やってたの覚えてない?」
シンジの言葉に里美はイブ1号の騒動を思い出した。
「あのイヤラシイロボットなの?!それじゃあなたは・・・・」
里美がそう言いかけて慌てて
「違うよ!!」
今度は違う意味で誤解されたようだ。
シンジはゆっくりと丁寧に今までの経緯を話した。

「本当に変な事してないの?」
里美は悪戯っぽく笑いながら聞いた。
「あのねぇ・・・・」
シンジは少しムッとした。
「冗談よ・・・でもこの状況は誰かに見られたら誤解されるわね」
落ち着いてみると、確かに変な状況だった。
シンジと里美の間に裸の里美が立っているのは・・・
「それじゃサトミに着替えをさせてくるよ」
と言って立ち上がろうとすると
「やっぱ変態だ・・・」
と、からかいながら里美が言った。
「あのなぁ・・・」
と文句を言おうとすると
「私がやるから、あなたは座ってなさい。勝手に私の洋服いじられたくないから」
そう言って里美はサトミを連れて部屋を出て行った。

シンジは、なんとか誤解が解けてホッと胸をなでおろした。

それから、しばらく三人の生活が続いた。
里美は、何事も無かったかのように過ごしていた。
サトミの存在も受け入れたのか、当たり前のように接している。
どんなに失敗しても
「まったくぅ・・・仕方無いわねぇ・・・」
と言って笑ってすませていた。
小さな子供に家事を教えるかのように優しく付き合っていた。

シンジも相変わらず仕事は忙しかったが、どんなに遅くなっても帰宅するし
出来る範囲で手伝うようにしていた。
里美と二人の時になぜ出来なかったのか不思議だった。
ようは仕事に逃げていたんだと気づいた。

このまま、すべてが旨くいっていくかと思っていたある日・・・
突然、里美から離婚してくれと言われた。
シンジには青天の霹靂だった。
何が原因なのか分からなかった。
また自分に何か落ち度があったのかと考えたが思いつかなかった。
「なんでだよ!」
シンジが聞いたが里美はうつむいて泣くだけだった。
「たのむ!言ってくれ!!俺が悪いのなら治すから!」
シンジは言った。
里美は静かに口を開いた。
「ずっと・・・具合が悪くて・・・病院に行ったの・・・」
「病気か?どこが悪いんだ?」
シンジは全然気づかなかった。
そんな自分に腹を立てた。
「前の話し・・出て行く前の・・・・」
そんな事知らなかった・・・シンジは思った。
「何で言ってくれなかったんだ?そうすれば・・・」
「言おうとおもったわ。だけどあなたは仕事、仕事で全然聞いてくれなかったじゃない!」
シンジは返答できなかった。
「だから・・・出て行ったのか?」
シンジは恐る恐る聞いた。
「それもある。けど・・・」
里美は口ごもった。
「けど、なんだ?」
シンジは優しく聞いた。
「生理不順があったんで、婦人科で見てもらったの・・・」
「それで?」
「・・・・排卵機能に異常があって、子供は難しいって・・・」
「え?!」
シンジは少しショックを受けた。
「やっぱりショックよね・・・あなた子供欲しがってたもの・・・」
「それは・・・」
「だから、あなたと別れるつもりだった。だから出て行ったの。」
シンジは、そんな事だったとは全然思いつきもしなかった。
自分が仕事ばかりで家庭をおろそかにしたのに腹を立てて出て行ったのだと思っていた。
「あの日、正式に離婚の手続きをしようと思って帰ってきたのに・・・」
里美は言葉が詰まった。
しばらく沈黙が続いた。

子供が出来ようが出来まいが里美とは別れたくなかった。
それをただ素直に言えば良いのだが・・・・
シンジはなんて言って良いのか思いつかなかった。
そんな自分が腹立たしかった。

沈黙を破ったのはサトミだった。
「お茶にしましょうか?」
サトミは状況とか考えずに忠実に自分の仕事をこなすだけだった。

「一応、出来る限りこの子に家事のやり方を教えたから。」
里美は、事務的に言った。
「子供だったら・・・」
シンジはしぼり出すようにやっと声を出した。
「何?」
里美が聞いた。
「子供だったら居るじゃないか。」
シンジは言った。
「え?!」
里美は理解できずに聞いた。
「目の前に出来の悪い娘が・・・」
シンジは答えた。
「母親が徹底的に教育してもらわないと。」
「けど・・・」
里美が何か言うとしたが
「3人で幸せになろう。」
そう言ってシンジは里美を抱きしめた。
「うん・・・」
里美の頬に涙が流れた。

「お茶にしますか?」
そんな状況も関係なく、もう一度サトミが聞いた。
シンジと里美はそんなサトミに微笑んだ。

奇妙な家族が誕生した。
人から見れば偽りかもしれないが、当人たちには本当の家族だった。
それが偽りか本物かは、当人たちが決めることだった。


Fin