第5話 純愛ラブソディー



ギィーーー

ちょっと重い扉を開けて香帆は店に入った。

今日は久しぶりに渋谷に出てきたので、以前は良く足を運んだ

カウンターバーに来てみたのだ。

カウンターには男が一人座っていただけだった。

その男と一つ空けた右側の席に香帆は座った。

お気に入りのカクテルをバーテンに頼み何気なく脇の男を見た。

男は妙に落ちつきがなくソワソワしていた。

ちらっと男の顔を見るとニヤニヤしている。

男の前にはプレゼントと思える箱が置いてあった。

なるほど・・・彼女と待ち合わせかぁ・・・

香帆は目の前に置かれたグラスを持ち、ちょっとため息をついた。

女独りで来るべきじゃなかったわ・・・そんな事を思っていた。

香帆は今度誕生日が来れば30歳である。

明るく世話好きで誰からも好かれている。

友人達からも「そのうちきっと素敵な人に巡り会えるよ」と言われているが、

未だにそのうちが訪れないでいる。

グラスの中身を飲み干して空にしたので、そろそろ帰ろうと思った矢先に

脇の男のお目当ての彼女が現れた。

「ごめんなさいね・・・」

そう言いながら男の左隣の席に座った。

香帆は席を立つタイミングを外されてしまった。

別に急いで帰る理由もないのでバーテンにもう一つカクテルを頼んだ。

なんとなく隣のカップルに聞き耳を立ててみた。

「僕も少し早く来すぎたから・・・」

女はそんな男の言葉に何かを言いたげだったが、そんな女の態度を気にもせずに男は

「あのさぁ・・・今日は君に大事な話しがあるんだ・・・」

と言った。

「私もあなたに話したい事があるの・・・・」

「なんだい?」

「あなたってとっても良い人よ。優しい人だと思うわ。」

「何だよ?急に・・・」

「私にはもったいない人だと思うの。だから私なんかよりもっと良い娘が居るわ。」

「な・な・何を言い出すんだよ・・・ 俺が嫌になったのかよ?

 何が気に入らないんだよ?言ってくれよ!!」

「あなたは何も悪くないわ。ただ・・優しすぎるのよ。

 私がどんな勝手な事やってもあなた・・怒らないじゃない・・・

 今日だってそうじゃない・・・30分以上遅刻した私に一言も文句言わないじゃない。

 今日だけじゃないわ・・・いつもそうじゃない・・・

 電話するって言ったのにしなかったりしても何も言わないし・・・

 ドタキャンしたって怒らないし・・・・」

「だって・・それは君が忙しいからだろ?

 別にわざと意地悪してやってる訳じゃないだろ?

 俺もそれが解ってるから言わないだけだよ・・・」

「とにかく・・・私はあなたにとってふさわしくないわ。

 もっとふさわしい人を彼女にして!

 それじゃ・・・さよなら・・・」

そう言って女は席を立った。

男は呆然としていた。

香帆はここに残った事を後悔した。

妙に重苦しい空気が漂っていた。

香帆も席を立つ事が出来ず、気まずい雰囲気が続いた。

ちらっと男の方を見たとき、目が合ってしまった。

香帆はひきつった笑顔で男に会釈した。

「聞いてましたでしょ?」

男が香帆に話しかけてきた。

「ええぇ・・だけど・・別に盗み聞きしてた訳じゃなくて・・・たまたま・・・」

香帆はしどろもどろして答えた。

「良いんですよ・・・だけど・・・何が悪かったんでしょうね・・・??

 僕は彼女には真剣に正直に接してきたつもりだったんですけどね・・・・

 優しすぎるって彼女は言ってたけど、別に優しくしたつもりは無いですよ。

 彼女に会えればそれで良かったんですよ。

 それなのにそれが彼女にとっては迷惑だったみたいで・・・

 すみませんね・・・見知らぬ人に愚痴ったりして・・・

 でも・・あなたに愚痴って少し気が楽になりました・・・・

 どうもありがとうございました。」

男は勝手に喋って席を立ってしまった。

香帆は何も言えないまま呆然と男を見送った。

ふと見ると男が居た席の前にはプレゼントの箱が置き忘れてあった。

香帆は箱を持って慌てて男の後を追って声をかけた。

「あのぉ・・・これ忘れてますよ!!」

男は香帆の声に振り返り、その箱を見て

「あぁ・・それですか・・・話しを聞いてくれた御礼にあなたにプレゼントしますよ!」

そう言って店を出て行った。

香帆はその箱を持って席に戻った。

そして箱の包みを開けて中身を見ると、それは指輪だった。

それも軽々しく貰えるほど安くない代物だ。

香帆は困ってしまった・・・




香帆はいつもの様にレジに立っていた。

彼女の家は家族でコンビニをやっていた。

香帆はそのコンビニの店長である。

あれから一週間が過ぎたが、何の手がかりもなく例の指輪をまだ持っていた。

「店長。変わりますよ・・・夕飯食べてきて下さい!!」

バイトが交代を告げた。

「じゃっ、御願いね!!」

そう言ってレジを離れ店の奥に入ろうと思いつつ何気なく外の通りを見ると、

あの指輪をくれた男が歩いていた。

「あっ!」

香帆は慌てて店を飛び出て男の後を追った。

それほど間を置いてなかったのに近くのマンションの辺りで男の姿を見失ってしまった。

コツ!コツ!コツ!コツ!・・・・

目の前のマンションの鉄の非常階段を昇る音が聞こえた。

不審に思い香帆は屋上の方を見ると、あの男が昇って行くのが見えた。

まさか・・・自殺?!

失恋男が投身自殺・・・じゃワイドショーネタにもならない。

香帆は急いで階段をかけ昇った。

屋上に昇りつくと、男が手すりに手をついているのが見えた。

「ちょっと待ってぇ!!早まらないでぇぇ!!」

男は香帆の声に振り返ったが、キョトンとしていた。

「いくら彼女にフラレたからって死んだらおしまいよ!!早まっちゃダメよ!!」

男は香帆の顔をじっと見て、やがて思いだしたように

「あぁぁ・・・あの時の方ですか・・・」

「とにかく、そこから離れて・・・話し合いましょう!!自殺なんてバカがする事よ!」

「へぇ・・??自殺って僕がですか?まさか・・・アハハ」

男は笑いながら言った。

「だって・・・そこから飛び降りるつもりだったんでしょ?」

「違いますよ!!」

「じゃぁ・・・何のためにこんな時間にこんな所に来たの?」

「見てよ!」

そう言って男は街の夜景を指さした。

香帆も言われるままに夜景を見た。

「綺麗ねぇ・・・・」

そういえば最近落ちついて夜景なんか見る事もなかった。

こんなに綺麗な風景があった事すら忘れていた。

香帆はぼんやりとそんな事を思っていた。

「あの街明かりの一つ一つにそれぞれの生活が有ってドラマがあるんだよね。

 あの中で人々が泣いたり笑ったりしてるんだよ。

 僕は・・落ち込んだときはここに来るんだよ!

 泣いているのは僕だけじゃない!僕は独りぼっちじゃない!って思えるんだよ

 そう考えると少しは気持ちが楽になるんだ・・・・」

男がゆっくりと語った。

「見かけによらずロマンチストなんだね。」

「見かけによらずは余計だよ!」

「あはは」

「それよりそんな格好してるけど仕事中じゃないの?」

そう言われて香帆はコンビニの仕事着のままだった事に気づいた。

「あっ!ヤバ・・・戻らないと・・・・」

「コンビニで働いてるんだ?」

「そう・・・この先のコンビニが私の職場なの」

「へぇ・・あそこなら何度か買いに行ったけど気がつかなかったなぁ・・・」

「今度買いに来てよ!!」

「そうする・・・今日は心配かけてゴメンな!!」

「いいのよ・・・私の早トチリだったんだから・・・・じゃっ私は戻るわね!!」

「仕事頑張れよ!」

「ありがとう。じゃぁねぇ!!」

香帆は足早に階段を降りた。

途中で男に指輪を返すのを忘れた事を思いだしたが、

まぁ・・・そのうち店に来るでしょ・・・

そんな風に楽観的に片づけてしまった。

また会える事を少しは期待して・・・・




次の日の夜、男は店に現れた。

「やぁ!昨日はどうも!!」

「こんばんわ!あっそうだ・・・」

「なに?」

「これを返そうと思って・・・・」

香帆は例の指輪を男の前に出した。

「あぁ・・それか・・・それは君にあげたモノだから・・・」

「そうはいかないわ!こんな高価なモノ・・・あなたから貰う訳にはいかないわ!」

「この間も言っただろ・・・愚痴を聞いてくれた御礼だって・・・

 それに昨日の件もあるから・・・ 」

「それとこれとは別問題よ!これは御返しします!!」

「僕も男だよ!一度あげるって言ったモノを今更返して貰うって事出来ないよ!」

そう言って男は香帆の手に指輪を強引に渡した。

「香帆ちゃん・・・交代するから夕飯食べてらっしゃい!」

そんな問答をやってる所へ香帆の母親が奥から出てきた。

香帆の母親には指輪を渡してる男の姿が香帆にプロポーズしてるように見えた。

「あら・・・そう言う事なの?香帆ちゃん・・・こんな良い人が居るなんて

 一言も言わなかったのに・・・・あら・・・大変だわ・・・・

 お父さん!大変よぉ!!お父さん・・・・・」

香帆の母親は勝手に盛り上がって奥に駆け込んで行ってしまった。

香帆達は呆然とその光景を眺めていた。

やがて男は自分が香帆に指輪を渡してる姿に気がついて

「もしかして・・・僕が君にプロポーズしたと勘違いしたのかなぁ・・・??」

と暢気に言った。

そう言われて香帆もハッとした。

「そうよ!絶対にそう思ったのよ!!ヤバァ・・・

 ねぇ!お母さん・・・違うのよ!誤解だってばぁ・・・・」

香帆も慌てて奥に入って行ってしまった。

男はその場に取り残された。

今日の所は帰った方がよい・・・そう思ったので出直す事にした。




男はタバコに火をつけた。

喫茶店には疎らに客が居るだけだった。

カランコロン・・・

ドアーが空いて香帆が入ってきた。

「ごめんなさい遅くなって・・・急にお客が来て店抜けられ無くって・・・」

「いいよ・・・それよりどうなった?」

「誤解だと言ったんだけど・・・どうも・・信じて無いみたいで・・・」

「そうか・・・それならば・・・俺が言って説明しようか?」

「やめてよぉ!」

「え?!」

「そんな事したら余計に話しがややこしくなるから・・・

 だいたい・・・あなたが悪いのよ!!指輪なんか・・・くれるから・・・」

「ごめん・・・」

男は本当にすまなさそうに言った。

「本当に迷惑な話しよ!!そうじゃなくてもうるさくてしかたなかったんだから・・・」

「それじゃぁ・・・本当に結婚しようか・・・アハハ・・・」

と男は少しおどけて言った。

「ふざけないでよぉ!!」

男の冗談は香帆には通じなかった。

逆に香帆を怒らせてしまった。

「ごめん・・・冗談が過ぎた・・・・」

「まったく・・・あなた、ついこの間フラレたばっかじゃないの・・・

 女なら誰でも良いわけ?!」

「そうじゃないよ・・・本当に君の事気に入ったんだよ!!

 まだ知り合って間が無いけど何か感じる所が有るんだよ。」

「いい加減にしてよね!調子の良い事言って・・・まったく・・・

 とにかく二度と私に近づかないで!!それだけ言いたかったの!!」

香帆は席を立った。

男はその場に取り残された。

「あぁ・・・またフラレちゃったなぁ・・・」

男は苦笑して席を立った。




「こんにちわぁ!居るぅ・・・?」

幸恵が香帆のコンビニにやって来た。

幸恵は香帆と幼なじみである。

すでに結婚して子供も一人居る。

普段からいろいろと香帆の事を気に掛けてくれているのだ。

「居るよぉ!!」

「聞いたわよ!プロポーズされたんだって??」

「あっ・・・お母さんね・・・まったく口が軽いんだから・・・・違うのよ!!」

「え?!違うの・・・?」

香帆は事の次第を幸恵に説明した。

「ふーん・・・でも・・・まんざら間違いでもないんだ・・・」

「何言ってんのよ!!こっちがダメならあっちみたいで冗談じゃないわよ!!」

「で・・香帆の気持ちはどうなの?」

「私の気持ち・・・?!」

「そう・・・彼の事嫌いなの?」

「好きも嫌いも無いわよ!だいたい・・・名前だって知らないんだから・・・」

「そうかなぁ・・・??」

「どういう事?」

「だって・・・普段の香帆らしくないもの・・・・」

「何が?」

「いつもの香帆ならそんなにムキになって怒らないじゃない・・・

 適当にはぐらかすじゃない?それなのに・・・・」

「それは・・・」

「それって彼が言うみたいに香帆にも彼に対して何か感じる所が有ったんじゃない?」

「そんな事・・・・」

「無いって言うの?自分の気持ちに正直になったら・・香帆はいろんな事考えすぎるのよ。

 もっと・・・素直になった方が良いわよ!」

「私はいつだって素直だし自分の気持ちに正直よ!!」

香帆はムキになって言った。

「ほらほら・・・またムキになる・・・結婚なんて勢いよ!

 男なんかどれだって結局同じなんだから・・・・

 何か感じる所がある男とだったら御の字よ!!」

「良く言うわ・・・あれだけ大騒ぎして一緒になった癖に・・・」

「あはは・・・あっ!いけない・・・そろそろ帰らないと・・・

あんたもこれが最後のチャンスかも知れないんだからね!」

「ふーんだぁ!!いいもん・・・私は女一人で強く生きて行くから!!」

「ほんと・・・素直じゃないんだから・・・」

「あんたは私の心配してないで、旦那の心配だけしてなさいよ!!」

「はいはい・・・じゃぁねぇ!!」

そう言って幸恵は店を出て行った。




その晩、香帆は友人宅へ遊びに行った帰りに例のマンションの前を通った。

何となく、あの夜景を見たい気分だったので屋上に昇ってみる事にした。

屋上には先客が居た。

もちろん彼である。

男は香帆が来た事にも気づかずに夜景を見ていた。

「そうやって落ち込んでる所見ると少しは真面目だったんだ・・・?」

香帆は男に声をかけた。

男は少し驚いたようだったが香帆だと解るとまた夜景を見ながら

「別に落ち込んでなんか無いよ・・・・」

とゆっくりと答えた。

「あらそうなの・・?」

そう言って香帆は男と並んで夜景を見た。

二人はお互いに何も話さなかった。

しばらく沈黙が続いた。

しかしそれは気まずい雰囲気ではなく極々自然な静けさだった。

香帆は男が隣に居る事に何の違和感もなかった。

やっぱり・・・何か縁があるのだろうか・・・??

香帆はそんな事を漠然と考えていた。

そしてぼんやりと夜景を眺めていた。

「おい・・そろそろ帰らなくていいのかい?結構遅い時間だぜ・・・」

どれくらい時間が経ったのだろうか?男が香帆に言った。

「そうねぇ・・・でも大丈夫!頼りになるボディーガードもいるし・・・」

香帆はのんびりと答えた。

「ボディーガードって僕の事か?そのボディーガードが強姦に変わるかもよ?

 フラレた腹いせにレイプするとかね・・・・」

「そしたら責任とってもらうから・・・・」

「え?!・・・あはは・・・俺の負けだなぁ・・・送ってくよ!」

「ふふふ・・・」

二人で笑った。

そして二人で帰る事にした。

階段を降りて通りに出てから香帆が男に聞いた。

「ねぇ・・」

「なに?」

「ひとつ教えてくれない?」

「答えられる事ならね・・・・」

「あなたの名前教えてくれない?」

男は笑いながら香帆に自己紹介した。




Fin


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